4日目は列車にのって蘇州へいきました。

 ガイド役上海人の友人と一緒です。上海駅から1時間10分くらいです。

  切符はどこで買うのかわかりません。すでに買ってくれていたからです。もっとも地下鉄の切符だって自動販売機でないと中国語ができないので買えませんがね。

  なにせ、こっちの人は列を作って順番に待つということはしないのです。ともかく割り込みます。自分さえよければいいのです。そのとき中国語が使えなかったらどうしようもありません。

  町中の銀行で両替したときはおどろきました。窓口が複数あるので1列になるようにポールとベルトで作った列をつくるような通路があります。日本でもそうですね。1列ですから複数の窓口があっても、並んだ順番に窓口にいけます。ですから、このポールとベルトでできた通路の出口から窓口まではいくらか空間があります。そこで正義はちゃんと窓口が 空くまでこの通路の出口で待っていたわけです。正義の順番になって、空いている窓口までいったら、列で後ろにいたおばちゃんは通路の出口で止まることなく、正義のお尻にぴったりくっつのです。おったまげました。

  地下鉄に乗るときもそうです。列車が来るまでは一応列をつくりますが、列車がプラットホームにはいってくると列がくずれ入り口付近にかたまります。とすると列の先頭にいたひとは割り込まれないように前進します。まだ動いている列車に 向かってです。日本だとこういうことはありませんな。 日本では危険だから白線まで下がれというアナウンスがあります。そして、列のが2つに分かれ降りる人が通る空間があって、まず降りる人が降りてから乗車しますが、中国では降りる人なんかかまっちゃいません。どんどんはいっていきます。ですからドアの前はごちゃごちゃです。

  地下鉄とはちがい列車の駅には切符がないとはいれません。日本やヨーロッパとちがうとこですね。駅の入り口で切符を確かめさらに途中で改札があります。硬席と軟席があります。軟席は勿論一等席ですね。ちゃんとゲートもちがいます。待合室も 違います。高い金をはらっているのですから優先されます。指定席です。もちろん。上海火車站は始発駅ですからそして軟席ですからゆったりしてますが、硬席のほうは混んでいます。

 二階建てでした。

 なぜ自転車のおばちゃんがプラットフォームにいるのかは不明です。列車に乗るときにも切符はチェックされます。

 

 

列車内はこんな感じです。

 午前8時29分発の予定です。が、なんと8時26分に出発!!時刻表より早く出ちゃう列車てのは生まれて初めての経験です。遅れるのだったらわかりますが、はやく出ちゃうんですから、きっと運転手の勝手なんでしょうね。 上海駅から10分も走ったら周りは農村地帯です。上海の人口は1700万人ということですから、いかに集中しているかがよくわかります。

  列車の中にはピストルをぶら下げている警官が巡回してました。この警官が禁煙車なのにたばこを吸っていた若い女性をとっつかまえて伝票をきっていました。罰金なんでしょう。 規則違反でたばこを吸うのがいるのもすごいけど、それがまた若い女性なのも驚きですし、ま国が変われば常識はひっくりかえるもんですな。

  蘇州の駅につきました。列車の中で客引をしていたガイドと交渉がはじまりました。こちらは一行6名ですのでタクシーだと2台になります。7人乗りの車がほしいこともあって交渉がはじまりました。たとえば東京から箱根や日光に行く列車のなかに観光地のガイドが乗り込んでくる という感じです。日本じゃ想像できません。列車のなかで客引きをするのですからな。胸から身分証明書をぶらさげているので公認のガイドです。

 交渉はなんとかまとまって1台の車で観光ということになりました。右の旗をもっているのが車中の客引きガイドのおばちゃんで中央の背中を向けているのが運転手です。ガイドのおばちゃんは同行しません。ほかのグループ客と同行したようです。

 

  蘇州駅前です。たくさんの人が迎えにきてます。ということは、日本人の列車で1時間というような感覚より、中国人にとっては蘇州は上海からはかなり遠い土地という意味であることを示しています。

 ここから寒山寺というとこにいきます。

 途中の町並みはこんなもんです。田舎です。

  目立つのは、自転車バイクの修理屋です。リヤカーが重要な輸送手段なのは上海とかわりません。蘇州の道路は信号がほとんどありません。道は十分ひろいのですが信号がないのです。この交差点にもありません。横断歩道はありますが。どっちが優先道路かよくわかりません。ドライバーは通行禁止の標識なんか無視して 走ります。左折するとき(日本の右折に相当)、日本では限りなく直角に曲がりますが、こっちはそんなことはありません。ですから場合によっては反対車線を走ってようやく中央線を横切って正しい車線にはいるなんてのはざらです。左折するとき、後ろの左折車が先に左に曲が って、こっちの左を走り、こちらの先に出てしまうということもざらです。

やってきたのは寒山寺です。

楓橋夜泊 月落烏啼霜満天江楓漁火對愁眠姑蘇城外寒山寺夜半鐘聲到客船  唐・張継

の漢詩で有名です。(て姫はしらないだろ)。お習字の手本とかにされてますね。

 この寺にきた著名人は、この漢詩を書き、それが石に刻まれ、寺の壁にかかげられています。 飾ってあるのはこの漢詩が多いのですが、他に絵とか他の文書もあります。下の写真は誰の書かわすれた。

 

  お堂の一つに寒山捨得という文字がありました。この字もよく聞きます。英語の解説では、人生運だ とかいう意味が書いてあったので、一行6人の中で議論になりました。 中国人もよく知らないようです。寒山捨得とは人の名前ですね。とある高僧の弟子でこのお寺を有名にした人物のようです。像は 多分立っているのが高僧でかがんでいるのが捨得なんでしょうかね。カラオケをやっているような雰囲気でわらっちゃいました。

 

  このお寺の中央に五重塔がありました。が、この塔が本来のお寺ではなく、隅にある小さな建物が本来のお寺であったようです。どっちにしろ、これらの建物はすべて近年再構成されたものらしく、古いものではありません。

 

 このお寺では除夜の鐘を突く習慣があって、これが日本につたわったんでしょうかね?。鐘をついたかって?もちろん。鐘楼に登ってつきました。一人2元です。

  漢詩にあるように、このお寺の周り、あるいは蘇州は運河がいっぱいで運送や農耕用水につかわれているようですが、漁り火で漁をするという雰囲気ではありませんでした。

 次は、拙政園です。また、進入禁止の標識は物ともせず、でこぼこ道をはしります。途中下のような

光景にでくわしました。新兵の訓練です。あまり強そうではありませんでした。日本ではめったにないですね、こんな光景。街路樹の下のほうが白くなっているのは、虫よけの薬をぬったためです。藁を巻くのではなく、白いペンキみたいのが塗りたくってありました。

 お寺の名前のように寒かったので早めの昼食です。蘇州の繁華街にもどり、創業100年とかいう松鶴楼菜館というレストランで食べました。

  また食い散らかしたあとの写真です。向こう側中央が、白身の川魚の丸のままの唐揚げです。表面に切り込みをいれ片栗粉をまぶし、唐揚げにすると、松かさのように開きます。チリソースの辛くないようなソースが付いてます。小エビの唐揚げがさらにふりかけてあります(柳魲魚)。その左が鳥のスープ(鶏火湯)。右の空の皿には、多分豆で赤く色を付けた餅(夢卜酥餅)が 盛りつけてありましたが全部たべちゃいました。中央がタケノコと椎茸の炒め物(香菇冬茸)。手前左が麻婆茄子の辛くないもの(肉末茄子炒)。手前右がセリのような野菜に鶏の細切り炒め(芦喬千糸)。右が牛筋と野菜の炒め物(三糸蹄筋)。たべちゃったので取り下げられた皿に豚の角煮(美味醤方)。この他に中華麺(面)をたべました。あ、もちろん寒かったので暖めた紹興酒もね。これで6人で316元(5000円弱)です。観光地の有名レストランということで高めです。日本でいうと高速道路のレストランてな感じですな。高い ので現地の人は行かないとこでしょ。高速道路のレストランより味はいいですが、いまいちです。もうちょっと辛みとか塩味があってもよかったですね。魚の唐揚げは新鮮でおいしかったです。

  さて拙政園です。蘇州四大名園(他の庭園はしらない)の一つで中国四大名園(これも他の庭園はしらない)の一つだそうです。拙政園は世界遺産としての「蘇州古典園林」の主格 なんだそうです。中国庭園のモデルとして事実上中国No.1の庭園となんだそうで。
 


庭園の庭石は豫園の石と同じく穴の空いたのがたくさんつかわれています。豫園のほうがまねたのでしょうね。池の周りには数々の建物があり、それぞれ机と数脚の椅子がおいてあります。親戚一同が、それぞれの干渉をきらって微妙に別れ住み、各建物で子供が勉強したり、事務処理をしたんだと案内の上海人はいっていました。

寒いので、そそくさと回って次ぎ。

次に、呉王の陵墓で、墓の上に白い虎がうずくまったことから虎丘とよばれるとこにいきました。

 入り口からみた塔です。傾いています。上海人は中国版ピサの斜塔だといってましたが、ホントに地盤沈下で傾いています。

 

 山門から塔まではちょっとした坂道です。そこで乗り物が用意されています。というか二人で担いでいく非現代的な乗り物です。20元(300円)です。

 中腹までしかいきませんので、高い乗り物です。

 もちろん乗りました。なんたって観光旅行ですからね。

 

 

 中腹からみた塔です。泉が湧いていて池があります。

 

塔は8層の石造りで木を全く使ってないそうです。そのため重くで右の写真のように地盤沈下でかたむいちゃって、中にははいれません。

寒い寒い ということで、列車で上海にもどりました。で、もちろん夕食です。最後の晩です。

全聚徳准海店というとこにいきました。北京ダックを食べるためです。

まずはお茶。

このように

ながぁーい 注口のついた水差しで熱湯!を注ぎます。もちろんお湯は茶碗からそとにこぼれません...が、3滴ばかりこぼれたので、中国語じゃないけど「へたくそ」といってあげました。通じたようです。

そそいだのは、九珍茶(下左)です。いろんな物がいっぱい入っています。

 
白いのは氷砂糖、赤いのはくこの実、ウズラの卵のように見えるのはなんかの実、あとはお茶の葉とわかんない。

 さって、時間をかけて選んだ料理の一部です。

中央のは四川料理で唐辛子と鶏の唐揚げ。肉より唐辛子のほうが多い。左が麻婆春雨の辛くないもの。上がキャベツの甘辛漬みたいの。右が砂肝の炒め物 (おいしかった。作り方を聞いたけど酔っぱらったので忘れた)、右端は春菊様の香菜と豆腐の炒め物。

  

  北京ダックはシェフが客の前でさばき、右のように皮の部分がまず供されます。左上の春巻きの皮で長ネギとテンメンジャンをつけて巻いてたべます。これは日本でもおなじみですね。右上のパンに切り込みを入れ、はさんで たべてもいいのです。

 一部の、どうしようもない人からの質問で、北京ダックの皮以外はどうなる?という愚問がありましたので答えます。

 
シェフの手さばきです。左は右手の中華包丁で皮をそいでいるところです。その結果が右で胸のところの皮がそがれてなくなっていることがわかりますね。ではそのあとの肉は、またそいで別に供されるのです。胸以外のところは、皮と肉がいっしょにくっついた状態で供されます。骨からはスープを作ります。鴨は皮下に脂肪が多いので、この脂肪をとるために高温の油をかけながら調理します。そうすると皮下の脂肪が溶け出し、皮と身の間に隙間ができ、皮がぱりぱりになるのですね。多分、この皮下の脂肪を除くための調理方法を採用したところ、「皮がぱりぱりでおいしい」て誰かが言い出して、この栄養もない「皮を食べるという」食べ方ができたんでしょうね。

 赤い矢印の先が肉だけの部分です。赤身の肉ですよ。食べちゃっているから少ししか残っていません。

 ちなみに赤い飲み物はスイカジュースです。

 ここのレストランのレシートをみると全部で10品位注文してますが、

なんてことを、56%アルコール飲料で繰り返していたんですから覚えているわけがありません。 6人で 400元 6000千円 てとこですか。安いですね。1/10ですね、日本の中華料理にくらべて。ま、しょうがない。世界では中華とイタリア料理が安くておいしいということになっているけど、日本だけだからね。高いのは。  ここのレストランでは他の客が食べているのをみたら、なんとカブトガニが料理されていました。どこ食べるんだろ?

というわけで本日も飲んだくれて終わったのでありました。

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